社会統合論(対人関係論)とは
人生の問題のほとんどは、自分と他人との関係性についてです。
対人関係論の表現する他人とは、相手がひとりだという決まりはなく、複数人であるかひとりであるかを問わない、『自分という個人』と関係する『相手』という存在です。
完全に孤立した人間は存在しません。なぜなら、個人は共同体や共同体が所属する社会や社会が所属する世界といったより大きな存在の中に生きているからです。
また、他人との関係・対人関係においてどのような目的を持ってどのように対応するかに最も人間性が出ます。
インタビューや質問によっても人間性を図ることも可能ですが、言葉よりも行動のほうが虚飾のない人間性の発露と言えるでしょう。
社会統合論(対人関係論)とは、人間は対人関係によって目的や行動が変わり、それらを観察することによって人間性を理解することができるという、一連の思想です。
社会統合論(対人関係論)とライフタスク
アドラー心理学では、『ライフタスク』として、人生で常に課題になる3つの事柄を示しています。
- 仕事
- 交友
- 愛
たった一人で執筆する小説家であっても、編集者や製本関係者とは関わるし、引きこもりで中であっても家族の配慮がないと続けることは難しくなります。
自分自身の生活に課題やストレス、不安感を感じるときは、人間関係に課題を抱えているときも多くあります。
交友関係で問題を抱えているのか、愛をめぐる家族間、恋人や伴侶との課題を抱えているのか、切り分けて考える参考に『ライフタスク』を見てみてください。
精神内界論とは
精神内界論は、フロイトが提唱した、アドラー心理学とは相反する概念です。
精神内界論は、トラウマによる衝動や心因性の健忘など、行動は、個人の精神内の機能や原因の発露と考えます。
アドラー心理学は、人間は対人関係によって目的や行動が変わり、それらを観察することによって人間性を理解することができると考えていますから、フロイトもアドラー心理学も人間を知ろうというアプローチであってもある意味間逆なのです。
アドラー心理学の社会統合論(対人関係論)よりも、対象が因果関係がわかりやすいのが特徴です。
他者との関係の中で自己は形成される
大学生くらいになると「自分探し」と言い始める方がいますが、自分探しや自己分析は個人の中ではできません。
なぜなら、人格や個性が試され発露する課題は、人間関係においてだからです。
相手が友人であれ、親であれ、仕事の同僚であれ、どのような目的を持って行動するかは、ライフスタイル(個人の人格や個性・価値観の総称)によって決まるからです。
個人の言動や意識・無意識は自然発生するものではなく、相手役との関係性(役割や共同する目的)において発生します。
そのため、相手の行動が変われば、自分自身の行動も変わります。
あくまで自分行動は自分自身の目的や価値観に則って判断するもので、相手の行動を認識しようとする現実の自分と、自分の目的を達成しようとする内面の自己が押し問答を繰り返します。
対人関係の処方箋は、共同体感覚
友人との関係や夫婦の関係など、対人関係のトラブルに共通して必要なものは『共同体感覚』です。
お互いに共同体感覚が備わっていれば、相手が成長し彼らの目的を達成する事に対して理解を示し応援、協力することができるでしょう。
自分か相手のどちらかが『共同体感覚』が欠如していれば、一方的に搾取するまたは依存する関係となり、その関係は遅かれ早かれ縮小し消滅に向かいます。
相手を想っての行動だとしても、一方的な我慢や献身は、建設的な対人関係にいたることはありません。一方的な貢献は、相手のにとってのメリットであってもより良い人間関係へ続く道ではないのです。
対人関係のトラブル例
引きこもり
引きこもりは、その人の人間性による個人の内面の問題でしょうか?
たとえ内面が一歩的な価値観に偏っていたとしても、引きこもりに至る理由は、学校や職場などの社会的な環境内の人間関係・家族との人間関係が、「引きこもり」という直接的問題行動へと発展します。
日本では無神論者に社会的な居場所はありますが、キリスト教やイスラム教の原理主義のコミュニティー内に無神論者の居場所は、あったりなかったりするでしょう。
つまり、個人の内面が所属するコミュニティーにフィットしていないがために、人間関係においても問題を抱えるのです。
引きこもっている家族を抱える方は、相手の変化を待つのも大切ですが、自分自身の行動やライフスタイルを変化させてみるのも試す価値はあるかと思います。
なぜなら、引きこもるという行動は、相手の行動が変化することによって変わらざる負えないことがあるからです。
職場で感じの悪い人には、優しくできないけど、感じの良い人には感じよく振る舞うように、相手によって行動を変えるのが人間だからです。
個人の内面が、所属しようとする共同体にフィットしていないなら、個人の内面に成長を求めるか、所属しようとする共同体を変えることが必要と考えます。